【感想】「生きのびる」から「生きる」への『セイチョウジャーニー』
ハロウィンだからという理由でその日の晩ご飯がおでんになったでお馴染みのイエロートマトです。それにしても今のコンビニのおでんはおいしいですね。最近の寒さも相まって週に3度おでんでした。それでも全く飽きない、うまいぞおでん。
さて、前回のブログにて話題のマクラとして『セイチョウジャーニー』の話をしたところ光栄にも著者の方々にコメントまでいただき、かつ、感想を書きたくなるぐらい素敵な内容でしたので、大変恐縮ではあるのですが読んだ感想を書いていこうかと思います。
『セイチョウジャーニー』とは?
『セイチョウジャーニー』はエンジニア向けの技術書の祭典、技術書典にて販売された書籍です。著者はGrowthfaction(ぐろーすふぁくしょん)というコミュニティの方々で、このコミュニティでは「成長と充実のハードルを下げる」を目的に、LT(ライトニングトーク)など様々な活動をされております。今回、技術書典5に私は参加できなかったのですが、BOOTHというサイトにて電子書籍版も販売しているためそちらを購入しました。
内容について
本書の内容について、どれほど踏み込んで書いていいのか分からないので、ネタバレにならない程度に紹介すると
・対戦格闘ゲームという非常に親しみやすい例をとった成長サイクルの解説
・業務内での自身の失敗体験を客観的に振り返りどのように改善していったのか
・テック系PodCastを始めたことから言語コミュニケーションにおける意識変革
などなど
また、著者及び関係者27名による成長と充実に関する4つの質問に対する回答で構成されております。
内容に一貫して感じるのは、どの著者も自身の体験を基に語っているため、とても具体的です。成長という抽象的かつ壮大な内容を各々が具体的なエピソードから迫っていくことによってセイチョウの法則性を帰納的に明らかにしていくという流れが非常に面白いです。
これだけでも間違いなく読むべき一冊なのですが、私にとって本書が真に素晴らしいと思ったのは、本書が「生きのびる」ための技術書ではなく「生きる」ための技術書なのだということです。この点を以下で詳しく説明していきたいと思います。
「生きのびる」と「生きる」
先に挙げた「生きのびる」と「生きる」という表現、これは、歌人、穂村弘氏の『はじめての短歌』にて読んだ表現です。
「生きのびる」というのは人間が生命活動を維持していくなかで最適化、効率化されていく物事、価値基準であり、それに対して、「生きる」とは「生きのびる」のその先にある最適化や効率化では一概に推し量りきれないような価値基準のことを「生きる」として解釈しました。
「生きる」のニュアンスを伝えるための例としてはこの動画が参考になるのかと思います。
この動画の生徒の回答は実際の試験では間違いとなるでしょう。つまり、「生きのびる」観点から言うと良いとはいえません。しかし、「生きる」という観点ではこの回答は許容されるのです。また、この回答は試験の正答以上に見聞きした人の心に残るものがあります。良い短歌ではこういった「生きる」表現、価値観が優位になるというのが往々にして含まれているのだそうです。
「生きる」はなぜ心に残るのか
では、なぜ私たちは「生きのびる」よりも「生きる」表現を良いと感じ心に残るのでしょうか。穂村弘氏はこのように語っております。
「 生きる」ということへの憧れですよ。それは往々にして「 生きのびる」ということの強制力に対する反発の形になる。その「 生きのびる」という強制力から自由になっているものを見ると、心が吸い寄せられる。
『セイチョウジャーニー』では、私たちが「生きのびる」ために常に成長を求められ続けるという強制力の働く世界、この果てしないジャーニーの中において、成長と充実のハードルを下げることにより、「生きる」を見つけ出していくことが描かれています。それこそが『セイチョウジャーニー』が心に吸い寄せられる理由、心に残る理由なのではないでしょうか。
『セイチョウジャーニー』は『生きる』ための技術書
技術書というのは往々にして、いかに技術を身につけ、作業を効率化、最適化するのかという、いわば「生きのびる」ための手段を身につけるためのものが大半であります。その技術書の立ち位置になんらの問題もありません。そもそも「生きる」には「生きのびる」が大前提にあり、「生きのびる」ための知恵や工夫も、それを身につけようとする態度も手段も、なんら否定されるようなものではありません。
だからこそというべきか、技術書という「生きのびる」ためのものが必要とされる世の中の、ましてや、そんな技術書の祭典である技術書典に、こういった「生きる」ための技術書が出されたことにもの凄く感動したのです。こっぱずかしい言い方ですが、私たちは「生きのびる」ために生きている訳ではなく「生きる」を積み重ねて生きているのだと『セイチョウジャーニー』を読んで改めて感じました。
最後に
『セイチョウジャーニー』は「生きのびる」ための手段を越えた「生きる」ための技術書だと私は感じました。成長という終わりのないジャーニーのなかでいかに「生きる」ことができるのかを著者らは探求し、その成果を本書でシェアしてくれています。
そして、成長について悩みながら「生きのびる」ことに尽力し「生きる」を模索する人に本書を推薦します。本当に素晴らしい一冊でした。是非皆様も読んでみてください。